母の新盆を迎え  〜思うこと〜

 

お盆の季節と言えば、地方の多くは、8月の夏休みだ。ここ関東地方、東京では、旧暦で行うので、7月13日が先祖の霊を迎える日、お盆初日になる。

 

しかし実際に、お盆の意味も含めて、私がそれらを知ったのは、かなり後になってからのことであった。

 

私の子ども時代、近所の友達はほとんどが4〜5人家族で、6畳一間、台所とトイレが共同のアパートに住んでいた。

私はアパートではなかったが、祖父母や叔母も居た狭い一軒家で、その生活は、周りの友達とほぼ同じような感じであった。

 

お盆の日になると、唯一、夕暮れ時から、子ども達が出かけることを許される行事に、ワクワクしたものだ。浴衣を着せてもらって、紙製の提灯を手に持ち、家の前の狭い道路にみんなが集まる。それぞれの、色とりどりの浴衣の柄が、華やかだった。そして提灯行列が始まる。

何人かの友達の親が付き添って、一緒に回ってくれた。各々が持つ、棒の先にぶら下がった、絵のついた提灯の中には、現代のようなライトではなく、蝋燭が入っていて、火を付けてもらった。

その提灯を持ちながら、近所の道をぐるっと何周か回る。その時は、みんなで声を揃えてこう歌う。

♩ちょうちんぎょうれつ♪わ〜いわい♪お化けのちょうちんぶ〜らぶら♪』

提灯を持ちながら歩くので、必ず誰かの蝋燭の火が、紙の提灯に燃え移ってしまう。

持っていた子は急いで手を離し、最後にみんなで足で踏んで火の後始末をする。

道路の上で燃えカスになってしまった提灯が、なんとなく物悲しい。

 

そんな子どもたちの行列の声を最後に聞いたのは遥か昔になってしまった。寂しいかな、もう、その習慣は、いつの間にか、絶えてしまっていた。

 

そんな一連の行事も、お盆初日に、ご先祖様の霊を家にお迎えする目印の灯りだったのだなあ・・・と

今になって思うこの頃だ。

 

去年の秋に母を亡くした。

母とは、ぶつかることも多かったが、それは遠慮のない親子ゆえのこと、いつも自分よりも子どもを優先して、無償の愛をくれたと感じている。

その母の新盆が近づいてきた。

 

都内ではあまり迎え火や送り火を焚く家を見かけない。

去年だか、近所の人が玄関先でやっていたのを見かけたくらいだ。その家は新盆だった。

 

迎え火で霊を家に迎えて、数日後、送り火で見送るお盆。主人の実家は田舎なので、藁でやっていたが、どうしたものか..そこで、試しに通販で探すと、とても小さな「迎え火送り火セット」が売っていたので、これはよいものを見つけたと思い、それと、新盆用の白い灯籠を購入した。この灯籠は仏壇の前に飾ろう。

これにお花や、お菓子や、果物を供え、茄子やきゅうりに楊枝で足を付け、橙色のほうずきを飾れば準備は完了だと考えた。地方の人から見ると、簡素だと思うかもしれないけど、私はそうしようと決めている。

 

そもそも私はこの行事に対して、どこまで信じているのだろうか。

ご先祖様や母の霊は存在するのだろうか.....

 

こればかりは完全に死んでみないと分からない。幽体離脱や仮死体験ではだめだ。完全に死んでみないと、誰も分からないことだと思っている。

 

私が育った時代は、テレビ番組など、霊を扱うものがとても多かった。霊媒師が除霊をしたり、ロケに行ったりと、ゴールデンの時間帯で、よく放送された。また、霊ではないかと思われる不思議な現象の話を、身近の人から聞いていた。

実際に自分でも、不思議な経験はある。

 

テレビの影響や、読んだ本などから、若い頃は霊の世界を疑うことはなかった。

 

しかし、10数年前、私は手術の時、全身麻酔を一度経験した。そのことで、ちょっと世界観が変わったのだった。

麻酔がかかっている間は、夢もなく、当然であるが、全く意識がなかった。人生でそこだけの時間がすっぽりと無になったのだ。

自分が存在していることも知り得なかった。私は直感的に、生まれる前や、死んだ後も、あの全身麻酔の時の様な感じなのではないかと思った。

このことは、気になったので、検索をしてみると、同じことを書いている人がいて、少し驚いた。麻酔の経験で、同じ感想を持った人が、私の他にもいたのだ。

 

ことさら、母が亡くなってから、死後の世界を想像した。母はどこに行ったのだろう..今どこに居るのだろう..いつか私もそっちに行ったら、会えるのだろうか。もし霊の世界があるなら、また会えるかもしれない。そう信じて生きて行った方が、絶対幸せなはずだけど...

 

そう考える一方で、いや、やはり、天才理論物理学者のホーキング博士が言ったように、

「天国も死後の世界もない。」と言うのは、正解なのかもしれないとも思う。

知の巨匠と言われた、立花隆氏も、これについては熟考を重ね、かなり取材をしていた。行き着いた結果は多分、ホーキング博士と同じだったのではないか...と、晩年の言動で推察できる。

 

三途の川の淵まで行くなど、臨死体験をする人は多いし、親戚にも居るけれど、それは脳内ドラックと呼ばれる物質が出て、幻覚に似た脳の働きによるものかもしれない、と言うことも、医学の世界で言われている。

 

もし、死後の世界が存在しないとなれば、永遠に亡くなった人との再会は果たせないことになるのだ。

天国や死後の霊の世界を100%信じている人は、私のように「死ななきゃ分からない」と思う人からすると、それはもう、とても幸せなことだと思う。本気で羨ましい。心底そう思う。

 

でも私は、母を亡くして初めて感じたことがある。

 

それは、例え、天国はなくても、霊の世界はなくても、千の風になってなくても.....

母の思いは永遠だと言うことを確信するのだ。

 

母の生前の思い・・・それは、いつも私が、ずっと健康であることを祈り、いつも私が、一生幸せであることを祈り、いつも私の味方であり、いつも心で応援してくれ、励ましている。

 

母が私の一生涯の幸せを祈っていたのなら、私が生きている以上、その願いは継続していることになる。

 

その母の思いの事実がある限り、私は一生、母に励まされて生きて行くことができる。

例え天国もなく、千の風になっていなくても.....

 

母は空が好きだった。「私も空が好きなので、一緒だね」と話したこともあった。亡くなる数ヶ月前から寝たきりになったが、それでも母は、ベッドから首を傾けて、窓越しの空を、いつも見上げていた。

 

母はお星様やお月様になっていないのかもしれないが、空を見れば、私に対する無償の愛が確かにあって、今でも継続して存在することを感じ取れる。

 

だから私は、いつの時も大好きな空を見上げる...

 

朝空の彼方に、母の面影を探し、夕方の朱色を帯びた光の中にも、また、夜になると、母の大好きだった、淡く光る月を探して、夜の空を見上げるのだ...